ぬいぬいふぁくとりーは、ぬいぐるみを作る工場です。全国各地でぬいぐるみ作りのワークショップを開催しています。出店するのは、地域のお祭り、街のマルシェ、手作り市、公共イベントなど。
ぬいのもとを作っている時間。何時に来て、何を食べたっていい。大人なので。
ほかに出店の予定はありません。ぬいふぁくはどこにでも行く工場なので、お誘いはInstagramのDMまで、ぜひお気軽に。
イベントの様子やお知らせは、Instagramで発信しています。
イベントのたびに、見たこともない生きものが生まれます。ひとつとして同じ子はいません。








ぬいぬいふぁくとりーで顔を合わせた人は、みんな友達です。
ぬいぐるみ愛、にんげん愛。工場長と助手へのインタビュー、日記エッセイ、ぬいたちのプロフィール帳。第二弾を制作中です。
工場には、研究開発部があります。ぬいぐるみを作っていると、ときどき手が止まって考えてしまうことがあります。これはいったい何なのだろう、と。以下は、その疑問を調べた記録です。

ぬいぐるみの起源は、いまも一つに定まっていません。1902年、大西洋をはさんだ二つの場所で、ほとんど同時に別々に生まれたからです。
アメリカ側の話はこうです。1902年の秋、第26代大統領セオドア・ルーズベルトがクマ狩りに出かけ、弱ったクマを撃つことを拒みました。この逸話を新聞記者クリフォード・ベリーマンが風刺画にしてワシントン・ポスト紙に載せ、それを見たロシア移民のモリス・ミットムがクマのぬいぐるみを作り、大統領の愛称から「テディ」と名づけます。アイデアル社は、アメリカ国内初のテディベア・メーカーとされています。
いっぽうドイツでは、同じ1902年、シュタイフ社がこの逸話とはまったく無関係にクマのぬいぐるみを製造していました。1903年3月のライプツィヒ・トイフェアに出展し、1904年のセントルイス万国博覧会でグランプリを受賞しています。
どちらが最初かは、決着していません。ぬいぐるみは、誰か一人が発明したものではないようです。
つまり、大人が集まって布を縫い、ぬいぐるみを作るという行為は、100年ほど前に日本で一度流行ったことのある手芸の、続きです。
1953年、イギリスの小児科医で精神分析家のドナルド・W・ウィニコットが「移行対象(Transitional Object)」という概念を発表しました。乳幼児が特別な愛着を寄せる、毛布やタオルやぬいぐるみのこと。自分ではない、最初の所有物です。
ウィニコットによれば、移行対象は、心の中の空想と、外にある現実の、どちらでもない「中間領域」に置かれます。生後6か月から1歳ごろに現れ、それを触ったり口にくわえたりすることで、子どもは安心を得ます。
では、大人になってからも持っているのは、例外なのでしょうか。日本の大学生411名を対象にした調査があります。
3人に2人が経験し、そのうち4割が大人になっても手放していない。統計としては、めずらしいことではありません。
ぬいふぁくで生まれるぬいは、左右が揃っていません。縫い目は不規則で、パーツの位置も自由です。それでも、ほぼ確実にかわいくなります。理由は、たぶん二つあります。
ひとつはベビースキーマ(幼児図式)。1943年に動物行動学者コンラート・ローレンツが提唱した、人が「かわいい」と感じる形の条件です。
もうひとつはシミュラクラ現象。3つの点が逆三角形に並ぶと、脳がそれを顔として認識してしまう働きのことです。人や動物の目と口が逆三角に配置されているため、同じ配置を見ると顔だと判断してしまう、と説明されます。
参加者がやっているのは、この条件を満たすことだけです。目を、大きく、二つ、上のほうに。それさえ済めば、布の塊は生きものになります。あとは何をしても、かわいくなります。だから、不揃いでいいのです。



ウィニコットの理論で大事なのは、移行対象は与えられるものではなく、子どもが自分で見つけるものだという点です。親が「これを大事にしなさい」と渡したものは、たいてい移行対象になりません。
ぬいぬいふぁくとりーがやっているのは、ぬいぐるみを配ることではありません。誰かが、自分のぬいを見つける場所を用意することです。ぬいのもと(ボディ)まではこちらで作っておいて、最後の顔だけは本人に決めてもらう。おそらく、そのためです。
2年間で497体が生まれました。497回、それが起きたということになります。
ぬいぐるみ愛、にんげん愛、いつかどこかで誰かに寄り添うように。
― 取締役CEO 兼 ぬい価値向上本部長より
本稿は査読を受けていません。事実関係の誤りを見つけた方は、Instagramまでご一報ください。
ぬいぬいふぁくとりー 研究開発部